2024/1/7 『窓際のトットちゃん』を見たけどあんまりハマらなかった話

『窓際のトットちゃん』を見たけどあんまりハマらなかった話

 

 

『窓際のトットちゃん』見た(年末なのでちょっと前のことです)。

界隈でやけに評判が良かったので少し気になってはいたのだが、「アラフォー独身限界おじさんが一人で見に行くのはちょっと・・・」とモジモジしていたところ、今冬きっての化け物コンテンツである「SPY×FAMIRY」の映画が公開されるタイミングが来てしまった。こいつの上映によって他作品が一匹残らず駆逐されてしまう前に見ておかないとヤバい、という心理が働き、土曜日の朝一に近所のイオンシネマで上映されるスケジュールだったこともあって早起きついでに見に行ってきたのだった。

 

確かに良い作品だった。主人公のトットちゃんは今で言う発達・ADHDの気があり、義務教育の尋常小学校にフィットできない「問題児」である。しかし、そこからユニークな教育方針で知られるトモエ学園に転校すると、校長の小林先生や同級生たち(トットちゃんと同じく、義務教育の枠にハマりずらい何らかの特徴をもっている)と出会い、個性をスポイルされることなくすくすくと成長していく。しかし、当時の日本は大正→昭和に向けて対外戦争の道へと突き進んでおり、その影響は彼女たちの生活にも少しずつ影を落としていく・・・というストーリー。

ワタクシはトットちゃんミリしら勢なので(「トットちゃん=黒柳徹子」「戦争は日本が負けた」等の最低限の知識はあり)原作との違いなどは分からないが、良くも悪くも先入観なく楽しめた。子供でも分かるストーリーだが、大人が見ても十分楽しい(というか、戦争に関する描写や人物の生死に関わるパートなど、大人じゃないと理解できない部分もある)と思います。

 

とはいえ、ネットで「号泣しました」「2023年を代表する傑作」などの評価を参考に見に行った立場からすると「俺はそうでもないが!?」という気持ちでもあったので、個人的に「そうでもなかった点」「イマイチ乗れなかった点」を整理がてら書いていきたい。

 

トットちゃんが危険すぎる

 

先にも書いたが、主人公のトットちゃんは今だと発達障害に分類されるであろう、大変落ち着きがない女の子である。そのため劇中でもその多動っぷりをいかんなく発揮し、

・授業中、道を歩くチンドン屋を発見し、興奮して窓から逃亡(窓際のため)

・便所に財布を落とし、一人で肥溜めを一日中汲み続ける

・足の不自由な友達と学校の木に無断で登り、危うく落ちかける

・突然学校を抜け出し、フル加速・ノーブレーキの自転車で父親の職場へ無断で急行

などの問題行動を連発するが、放任を是とするトモエ学園の教育方針の元、基本的にはやりたい放題で安全性が非常に気になるところである。トットちゃん=黒柳徹子(90歳でご存命)のため、本人生存フラグは立っているのでその点は安心っちゃ安心なのだが、とはいえ劇中は気持ちが落ち着かず「常識に縛られた大人」(=トットちゃんを社会からパージした側)としては「おいやめろ!!!」とつい心の中で怒鳴ってしまう。

これは俺の性格上の問題なので仕方ないのだが、「トットちゃんの天真爛漫さ」や「同級生との心のふれあい」という本筋に入っていきずらく、ストーリーに集中できない要素になってしまっており個人的には残念だった。

 

②終盤のトットちゃんがもっとぶっ飛んでいくかと思ったらそうでもなかった

 

トットちゃんが危険 についてはネット上でも同じような意見が多くあったし、まあそうだよね、という感じだが、本来はこっちを文章化したかったというのが趣旨です。

これは多分共感を得られないと思うが自分のために書く。

(一応注意すると、この先ラストのネタバレを一部含みます)

 

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終盤、トットちゃんが精神的に大きく成長するきっかけになる出来事があり、まあそれは親しい人の死の場面なんだが、その時のトットちゃんの心理描写とその後の一連の行動が割と普通っていうか、一般的な人間が起こしそうな反応だな、と感じてしまった。客観的に見ると凄く感動的なシーンだし、何なら作中最大の泣き所だったりするんだが、俺たちのトットちゃんだったらもっと常人の予想しないムーブをかましてくれる(ことによって感動を惹起させてくれる)と勝手と思っていたので「あれ、意外と普通じゃん」と若干肩透かしだったのだ。

何を言ってるのか意味が分からないと思うので補足すると、「発達なんだから変な行動しろよ」という意地の悪い期待値じゃなくて、トットちゃんに限らずこどもって、大人が想像できないようなロジックで発言したり行動することで不意に大人側をゆさぶり、大切なことに気づかせる、みたいなことがあると思っている。例えば今回のように親しい人が死んだ、その葬儀の場で普通の大人だったら、周りに合わせてしおらしくするなり、涙を流すなり粛然と個人への弔いの気持ちを表現するんだろうが、こどもはまだ場数を踏んでないから正解も分からないし、その場の空気も読まないので、我々が想像していなかったような言動をするし、それが驚きや感動を生む余地がある。

しかもわれらのトットちゃんなので、「おい、このシチュエーションでトットちゃん、何してくれるんだ!?」とハードルを無駄に上げてしまったのが良くなかった。詳細は避けるが、普通に悲しく、そして感動のシーンだったよ。悲しみで我を忘れて遺灰を投げつけるとか、予想外の行動をしてくるかと思ってたよ(良い例えが思いつかないので唐突に信長のエピソードで代替しただけで、別に遺灰を投げつけるのが正解だという訳ではない)。

ある意味、戦争がトットちゃん(と周りすべて)から自由に発想したり行動する機会を奪っているので、このときの彼女の行動は「こどもとはいえ戦争に規定されてしまうのは免れないし、それがかえって彼女を否応なく成長させるきっかけにもなった」とも言えると思います。だんだん何が言いたいか分からなくなってきたのでこの辺にしたいと思うが、文章家してスッキリしたので良し。これがこのブログを書く目的!