『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』

沖縄の社会や人間関係から貧困の理由を求めているのが良かった。もちろん米軍問題なども解決すべき根深い問題であるが。

 

究極的には自尊心のなさからくる自己肯定感の低さ、それに伴う同調圧力、からの現状維持によってイノベーションが生まれにくい特有事情、という組立ては、明確なエビデンスはなくとも納得感は非常にある。

 

著者自身のエピソードの中に「上司という立場はスポットライトの強い光を浴びて舞台に立つ役者のようなもので、逆光で客席が全く見えない。部下の誠意にも、ゴマすりにも、哀れなくらい気がつかない」という一文があって「至言だな」と思った。

生きとし生ける全ての上司が肝に銘じておくべきだし、自分も忘れたくないので今回ブログの記事に書いた。

 

 

2024/1/7 『窓際のトットちゃん』を見たけどあんまりハマらなかった話

『窓際のトットちゃん』を見たけどあんまりハマらなかった話

 

 

『窓際のトットちゃん』見た(年末なのでちょっと前のことです)。

界隈でやけに評判が良かったので少し気になってはいたのだが、「アラフォー独身限界おじさんが一人で見に行くのはちょっと・・・」とモジモジしていたところ、今冬きっての化け物コンテンツである「SPY×FAMIRY」の映画が公開されるタイミングが来てしまった。こいつの上映によって他作品が一匹残らず駆逐されてしまう前に見ておかないとヤバい、という心理が働き、土曜日の朝一に近所のイオンシネマで上映されるスケジュールだったこともあって早起きついでに見に行ってきたのだった。

 

確かに良い作品だった。主人公のトットちゃんは今で言う発達・ADHDの気があり、義務教育の尋常小学校にフィットできない「問題児」である。しかし、そこからユニークな教育方針で知られるトモエ学園に転校すると、校長の小林先生や同級生たち(トットちゃんと同じく、義務教育の枠にハマりずらい何らかの特徴をもっている)と出会い、個性をスポイルされることなくすくすくと成長していく。しかし、当時の日本は大正→昭和に向けて対外戦争の道へと突き進んでおり、その影響は彼女たちの生活にも少しずつ影を落としていく・・・というストーリー。

ワタクシはトットちゃんミリしら勢なので(「トットちゃん=黒柳徹子」「戦争は日本が負けた」等の最低限の知識はあり)原作との違いなどは分からないが、良くも悪くも先入観なく楽しめた。子供でも分かるストーリーだが、大人が見ても十分楽しい(というか、戦争に関する描写や人物の生死に関わるパートなど、大人じゃないと理解できない部分もある)と思います。

 

とはいえ、ネットで「号泣しました」「2023年を代表する傑作」などの評価を参考に見に行った立場からすると「俺はそうでもないが!?」という気持ちでもあったので、個人的に「そうでもなかった点」「イマイチ乗れなかった点」を整理がてら書いていきたい。

 

トットちゃんが危険すぎる

 

先にも書いたが、主人公のトットちゃんは今だと発達障害に分類されるであろう、大変落ち着きがない女の子である。そのため劇中でもその多動っぷりをいかんなく発揮し、

・授業中、道を歩くチンドン屋を発見し、興奮して窓から逃亡(窓際のため)

・便所に財布を落とし、一人で肥溜めを一日中汲み続ける

・足の不自由な友達と学校の木に無断で登り、危うく落ちかける

・突然学校を抜け出し、フル加速・ノーブレーキの自転車で父親の職場へ無断で急行

などの問題行動を連発するが、放任を是とするトモエ学園の教育方針の元、基本的にはやりたい放題で安全性が非常に気になるところである。トットちゃん=黒柳徹子(90歳でご存命)のため、本人生存フラグは立っているのでその点は安心っちゃ安心なのだが、とはいえ劇中は気持ちが落ち着かず「常識に縛られた大人」(=トットちゃんを社会からパージした側)としては「おいやめろ!!!」とつい心の中で怒鳴ってしまう。

これは俺の性格上の問題なので仕方ないのだが、「トットちゃんの天真爛漫さ」や「同級生との心のふれあい」という本筋に入っていきずらく、ストーリーに集中できない要素になってしまっており個人的には残念だった。

 

②終盤のトットちゃんがもっとぶっ飛んでいくかと思ったらそうでもなかった

 

トットちゃんが危険 についてはネット上でも同じような意見が多くあったし、まあそうだよね、という感じだが、本来はこっちを文章化したかったというのが趣旨です。

これは多分共感を得られないと思うが自分のために書く。

(一応注意すると、この先ラストのネタバレを一部含みます)

 

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終盤、トットちゃんが精神的に大きく成長するきっかけになる出来事があり、まあそれは親しい人の死の場面なんだが、その時のトットちゃんの心理描写とその後の一連の行動が割と普通っていうか、一般的な人間が起こしそうな反応だな、と感じてしまった。客観的に見ると凄く感動的なシーンだし、何なら作中最大の泣き所だったりするんだが、俺たちのトットちゃんだったらもっと常人の予想しないムーブをかましてくれる(ことによって感動を惹起させてくれる)と勝手と思っていたので「あれ、意外と普通じゃん」と若干肩透かしだったのだ。

何を言ってるのか意味が分からないと思うので補足すると、「発達なんだから変な行動しろよ」という意地の悪い期待値じゃなくて、トットちゃんに限らずこどもって、大人が想像できないようなロジックで発言したり行動することで不意に大人側をゆさぶり、大切なことに気づかせる、みたいなことがあると思っている。例えば今回のように親しい人が死んだ、その葬儀の場で普通の大人だったら、周りに合わせてしおらしくするなり、涙を流すなり粛然と個人への弔いの気持ちを表現するんだろうが、こどもはまだ場数を踏んでないから正解も分からないし、その場の空気も読まないので、我々が想像していなかったような言動をするし、それが驚きや感動を生む余地がある。

しかもわれらのトットちゃんなので、「おい、このシチュエーションでトットちゃん、何してくれるんだ!?」とハードルを無駄に上げてしまったのが良くなかった。詳細は避けるが、普通に悲しく、そして感動のシーンだったよ。悲しみで我を忘れて遺灰を投げつけるとか、予想外の行動をしてくるかと思ってたよ(良い例えが思いつかないので唐突に信長のエピソードで代替しただけで、別に遺灰を投げつけるのが正解だという訳ではない)。

ある意味、戦争がトットちゃん(と周りすべて)から自由に発想したり行動する機会を奪っているので、このときの彼女の行動は「こどもとはいえ戦争に規定されてしまうのは免れないし、それがかえって彼女を否応なく成長させるきっかけにもなった」とも言えると思います。だんだん何が言いたいか分からなくなってきたのでこの辺にしたいと思うが、文章家してスッキリしたので良し。これがこのブログを書く目的!

 

 

 

2024/1/2 読書メモ『怪物に出会った日 井上尚弥と戦うということ』☆☆☆

『怪物に出会った日 井上尚弥と戦うということ』

読みました。

 

井上尚弥という名前は聞いたことあったんだけどあんまり詳しく知らなくて、「眉毛が細い人」というイメージ(失礼)しかなかった。本書のレビュー曰く、井上は「怪物」という異名を持つ日本人史上最高のボクサーで、デビュー以来無敗で世界チャンピオンになっており、パウンドフォーパウンド(全階級で体重のハンデ差がない場合に誰が最強か、みたいな称号)でも日本人として初めて1位になったこともあるらしい。井上の階級自体は軽い方みたいなので、軽量級にも関わらず外国のヘビー級のチャンピオンにも勝てるってことなのか(メイウェザーとか?よくわからん)。でもボクシングのルール上直接対決をするわけでもないみたいだし、本当のところはどうなんだろうか。

そもそも、ボクシングって階級と団体、あとタイトルがいくつもあって、誰が強いのか分かりにくいと思う。例えば同じ階級の世界チャンピオンでもWBAWBCだったらどっちが強いの?とか、WBOのライト級日本チャンピオンとIBFのフライ級東洋太平洋2位はどっちが上?とか、あと試合もノックアウトだと分かりやすいけど判定だとイマイチスッキリしないとか。これは俺のボクシング知識不足もあるのだろうが、特に団体がいくつも乱立しているのは分かりにくいと思っていた。刃牙の最大トーナメントみたいなやつにしてほしい。

しかし、そんな状況を後目に、井上はボクシング主要4団体(WBA/WBC/WBO/IBF)の統一王者らしい(しかも2階級で)。確かにそれは多少分かりやすいかもね。

 

一方で、この本の著者はいつも試合後に井上のインタビューを記事にするたび、その強さを自分が伝えきれているのか、本当は井上の強さが何も分かっていないではないかと恐ろしくて仕方がないのだという。圧倒的な強さゆえ、その強さを余すところなく表現できてるのか不安になってしまうのだ。

だったら、対戦した選手を取材していったらどうか。怪物と闘った相手に話を聞けば、その強さを伝えられるんじゃないか、という目論見で書かれたのが本書である。

井上の圧倒的強さの秘密がどこにあるのか、井上に負けた選手たち(井上はデビュー以来全勝なので対戦相手は全員敗者である)がどういう感想を述べるのか、俺も興味がわいたので購入しました。

 

なぜ井上がこんなに強いのか、読んでみて何となくわかったのは井上自身の覚悟というか、本人も圧倒的な才能を持っていることを自覚した上で物凄くストイックにトレーニングを重ねて試合に臨んでいるということだ。これだけタイトルを総なめにして連戦連勝であれば、「多少手を抜いてもいいんじゃ・・・」と常人ならなりがちなところ、お金やタイトルではなく、自分の生まれ持っている才能を出し尽くすことが目的になっているため迷いがないし、弱点も見当たらない。ボクシング選手として非の打ちどころがない一方、人間らしさもないというか、ロボットのような印象を受ける。

(競技は違うが、大谷翔平が野球に打ち込む姿勢に似ていると思う)

一方、本書で描かれいる井上の対戦相手は、才能はあるのに努力不足で井上にあっさり負け、それでも故郷の奥さんからお金の無心をされて仕方なく現役を続けたり、井上との敗戦後、それがきっかけで身を持ち崩してアルコール依存症になってしまったり、井上とのタイトル戦に最愛の息子をリングサイドに呼んだらその目の前でKO負けしてしまったりと、何とも弱く、人間っぽいエピソードがある。そして、そういう人間的な弱さが「井上に負けた原因」になっている。

確かにこういう人間の方がインタビューの被写体として面白いし、著者が井上の強さを表現するのに苦労するのも分かるな、と思いました。今度試合があったら見てみたい。